議員になり、これまで日高管内の多くの小中学校閉校式に出席してきました。学校は地域や集落の中心的な存在であって、それが無くなることで地域の活気が損なわれ、そのことが集落の存在に影響を及ぼすと言われています。ところが最近は、子どもの学力向上のためには一定人数の中で切磋琢磨することが必要だと考える若い保護者も現れ、無条件に小規模校の存続を求める意見は少なくなりつつあるとの話を聞きました。モータリゼーションの発達により生活圏域が広がったこと、それにともなって集落への地域帰属意識が変化していることが要因のひとつではないかと私は考えています。しかし、地域の結びつきを維持したい地元の先輩達の前では「自分の子どもの学力の為に、地域の学校が無くなっても構わない」などとは、とても言えない雰囲気があるのだというのです。本音を言いたくとも言えない現実があるのです。
先日APECを控えて、日本がTPP交渉に参加するべきかどうか、国を二分する議論が繰り広げられました。北海道での反対運動は、農林水産業に限らず道内あらゆる業界団体や消費者団体までもが一致して全道規模で反対運動を展開してきました。北海道が総力を挙げて反対するのは本道が食糧自給率200%を誇る一次産業基幹地域であり、TPPで最も影響を受ける地域だと考えられるからなのです。民主党は賛成・反対派に分かれ激しいバトルを繰り広げ野田首相の決断を躊躇させました。実は自民党も同じ事情を持ち、都市部の賛成派に対し、地方の反対派といった構図ができあがり、農業対輸出産業の闘いの構図ができあがっていたことは否定できません。
APECで野田首相がTPP参加への積極姿勢を表明した後、北海道新聞は室蘭市に住む製造業者達の意見を紹介していました。そこでは「自分にとってTPPはマイナスにならない」「TPPを輸出拡大のチャンスと考えられる」また、「必ずしもマイナスではないが、農業あっての北海道だから、あまり大きな声では言えない」との本音がちらり。もちろん個人的には利害関係は様々なはずです。しかしそれを全て取り上げていたら意見もまとまるはずはないのです。新聞は北海道が「TPP反対で一枚岩になっている」との暗黙の認識に「そればかりではない」と言いたかったのかもしれません。
泊原発3号機のプルサーマル発電に関する「意見を伺う会」などでの「やらせ」が大きな話題となっています。そこでもTPPの場合と同じように、反対の意見が全てでは無いはずです。そこで推進の立場の北電は、表に出にくい賛成意見も確保し、現実的なバランスを取りたいとの気持ちがはたらいたとしても不思議ではないと私は思います。さすがに「社員が地元住民に紛れ込んで」というのは行き過ぎだと思いますが、普段から付き合いのある賛成派の住民に、意見発表のお願いをすることまで“やらせ”になるのでしょうか。報道を観ていると、その違い、つまりどこまでが“やらせ”で、どこまでがセーフなのか、その垣根がかなり曖昧に扱われていると私は思っています。テレビで街頭インタビューを放映することがよくありますが、賛成・反対意見をバランスよく編集することはあるのではないでしょうか。また、原発反対派の動員は当たり前に行われていますが、その状態で “幅広い意見”を聴取する場になっているのでようか。
11月29日北海道議会の一般質問で知事は、例え動員があって賛成・反対の意見がだされたとしても「道の判断には影響を及ぼしてはいない」と答弁しています。それでは「意見を伺う会」開催の意味があるのかとの批判もありましたが、賛否両意見を参考にすることはあってもその多寡で「影響は受けない」との考えだろうし、当然のことだと私も考えます。
幅広い“民意”をどのようにくみ取り、それをどう反映させるのか。大阪市長選挙での橋下氏勝利も民意の表れですが、目玉政策の「大阪都構想」への関心は「景気・雇用対策」や「福祉・医療」などよりも遙かに低いとアンケートが示しています。正確な民意を量るのは難しいし、全ての人が満足することはなかなかできないでしょう。そこで、広く民意を反映させるためとしての議会の役割があり、それには一定の人数も必要ということにもなるのです。
あれ?議会擁護の為の意見を述べるつもりじゃなかったのですが・・・とにかく、原発問題でも、地域の問題でも、様々な意見がある中で、全ての人が納得することは難しいことを前提として、一つの結論を出すことが政治なのだと思います。