フェイスブックの投稿に、新聞コラムで「フクシマ」とカタカナ表記していることに怒りのコメントが寄せられていた。気になっていたら、最近読んだ経済関連の著書にまで「フクシマ」との表現があった。その多くは東京電力福島第1原発事故に関わる被災全般を一言で便利よく表現する考えなのだろう。海外に向けて「(ノーモア)ヒロシマ」そして「原爆」のようなイメージをしているのかもしれない。しかし、今の福島県で、「フクシマ」イコール原発被害と一括りにすることが正しいことなのだろうか。便利だと安易に使うことが、そこに住み復興を信じて頑張っている人々に誤ったレッテルを貼ることにはならないだろうか。
被災地のがれき受け入れが進んでいないことが問題となっているが、最近になってようやく受け入れ賛成の声が大きくなってた。しかし、専門家の間でも今なお反対意見も存在し、住民の不安を気にしてか、受け入れに慎重な首長が多いことも事実だ。このことは、まったく残念でならないが、そんな状況下で「フクシマ」と一括することが、福島産全ての生産物が放射能に汚染されているようなイメージを植え付けることはないだろうか。この無神経な表現は、福島産を消費して助けようとする動きにも水を差すものだし、これでは風評被害は無くならないと思う。