9月7日(金)、首相官邸前で始まり全国に広がっているといわれる反原発デモの調査を札幌で行った。17時45分、北海道庁北門前にはスタッフと思われる腕章をした人々が拡声器や照明の準備をしていた。その場にはこれからデモに参加する約20人ほどがプラカードやメガホンを準備していた。18時になるとスタッフのひとりが拡声器で演説を始めた。そのころにはどこからともなく集まってきたデモ参加者が概ね100人ほどに増えていた。
 私は、首相官邸前デモの報道から、札幌のデモも北海道庁をぐるりと取り巻く人の輪ができているのかと想像していたのだが、その群衆の列はわずか50mほどであり、首相官邸周辺の様子とは大きく異なり小規模なものだった。時間とともに参加者は増え続け、最終的には3〜500人ほどになったものの「全国的な大きなうねり」とはほど遠いものだとの印象をうけた。
 反対運動はデモというよりも反対集会というイメージで、道路を挟んで舗道に群がった参加者が順に演説を行ったり、その合間に「再稼働反対!」、「原発いらない、今すぐ止めろ!」のシュプレヒコールが叫ばれていた。参加者の演説は自由であり、集団として責任を負うものではなく、おのおのが自身の気持ち勝手に訴えていた。沖縄から来たという中年女性参加者はオスプレイ反対も同時に訴えていたが、これは明らかにおかしい。この集会は反政府集会ではないはずだ。さらに矢臼別演習に反対する集会にも参加したという中年男性が登場した。彼は平和フォーラムの集会にも行ってきたと語った。また別の男性は高校教師と名のり、明日は組合の反対集会にも参加する予定だと言っていた。これが報道で言われる、「これまでデモなどに参加したことのない”普通”の人々のデモ」といえるのだろうか。勿論参加者の中には子供連れの姿もあったし、政党色に染まっていそうにない若者の姿も見受けられたことも事実である。
 デモの調査は、報道で見られる”普通の人々”までが参加という、特別な現象が起こっているのか否かという点だった。勿論一度見ただけでは全国に広がるデモの全体像を押さえることは無理かもしれないが、私は必ずしも”特別な現象”が起きているとはいえないように思った。デモに参加した”普通”の人々は、問題が直接身に降りかかることだと感じたから行動したのではないだろうか。以前小さな子供をもつお母さんたちと懇談をしたとき、地域で小児科が不足していることを切実に訴えられた。ところが、数年してそのお母さんに会うと子供が大きくなった今は余り必要性を感じなくなったという話を聞き、これが本音なのかと思った経験がある。勿論政治はこの声を無視してはならないが、一方では再稼働を容認する意見があることも厳然たる事実である。大切なことは、政府として、どの選択肢にせよ声の大きさや数の多寡に影響されることなく、ひとりでも多くの国民に納得してもらう努力をすることではないだろうか。
 私は機会あるごとに、どんな形でも良いから政治に直接参加してほしいと訴えてきた。何もしないで政治不信を募らせるよりも、このデモのように直接行動する人々が増えることは良いことだと思っている。デモ参加がファッションだと言われないように様々な問題に対し自ら行動する政治民度を築いて行きたいものだと思う。政治は決して政治家のものではない。衆議院選挙でも積極的に関わり行動してほしいと思う。