女子柔道日本代表監督の体罰やパワハラ問題で、告発した選手名を公表するべきだとJOC理事である橋本聖子参議が述べたことに批判が相次いでいる。私は「強制するべきではないが、できることなら選手自らが名乗り出るべきだ」と考える。何故なら、その訴える姿勢によって、その主張の信憑性や訴える強さが違ってくると考えるからだ。新聞の読者の声でも、女子選手に対して「勇気ある行動」と賞賛し紹介されている。それを是とするなら、正しいことをするのになぜ匿名にする必要があるのか。身に危険が及ぶことはないだろう。本人が望まないのなら仕方が無いが、告発された監督や組織も人生や団体の将来を大きく左右するほどの重大な関心事となっていることから、その訴えの信憑性が大前提となる。それならば、正々堂々と名乗り出て自らの主張の正しさを自ら語ることが筋ではないだろうか。ある人はフェイスブック上で、「ネットによる誹謗中傷、炎上」が心配されるとも述べていた。本人が望まないのなら強制はできない、しかし、ネットでの批判は「安全地帯」にいて、乱暴で無責任な言葉の攻撃だ。それを真に受ける必要はない。そしてそれは、匿名での告発とどこか似ていないだろうか。
山口二郎教授は「橋本聖子が告発した柔道選手の名前を明らかにしろと言っているそうだ。冗談ではない。彼女およびそれを支持する権力者は、自分たちが人間の尊厳を無視することに加担しているという自覚を持っていない。」と述べているが、私はそうは思わない。権力者としてではなく、対等な立場でことの是非を論じるべきであって、告発された者だけが衆人に晒されることが対等と言えるのだろうか。人間の尊厳というが、加害者に言い訳の機会が与えられるのも人間の尊厳であって、訴えた側のみが匿名とする必要はないと考えている。さらに以下のようにも述べている「 いま必要なことは、伝統と決別することである。・・・・鍵は、対等な人間同士の水平な関係である。」