菅内閣の新しい顔ぶれが揃った。早速「脱小沢」のレッテル、挙党一致は大丈夫?との声が聞こえだした。マスコミも内紛を期待するかのような無責任な扱いではなく、新内閣がどんな政治をするのかに言及してほしいものだ。
当分は新内閣の話題で小沢氏の影は薄くなるだろうが、どっこいその影響下にある議員は菅総理の揚げ足取りをもくろみ、小沢氏復活を狙っているのだろうか。いつから国民不在の権力闘争をするほど与党慣れしてしまったのだろう。

小沢氏の民主党代表選における予想以上の得票の多さに、民主党内での今後の影響について様々な憶測がささやかれている。
毎日新聞では「角栄待望論の幻影」とのタイトルで、クリーンな政治を求める世論がある一方で、カネに汚くとも閉塞感を打破するために小沢氏の「豪腕」に 期待をよせる声があり、そんな風潮が危ういと警笛を鳴らしている。また、朝日新聞では、「試された忠誠心と信頼」とし、党首選での小沢ガールズの奮闘模様 が紹介されていた。
ちょうど同じ日、北海道新聞の読者の声では、鈴木宗男被告に対し、司法判断を支持しつつも「たたき上げ人生と行動力にファンは多い」、服役後新たな出発を期待するとの意見が載せられていた。

小林千代美元議員の時も感じたことだが、有権者は若い議員に、カネにクリーンで、古い政治体質からの脱却を求めたのではなかったのだろうか。小沢ガールズらが臆面もなく小沢支持を表明する姿は、国民世論からはかなりかけ離れていると私は思う。
また、最高裁の判断後も罪を否定する者に政治家復帰の道があってはならないと考える。政治の現場で感じることは、議員のほとんどが地域や国のことをおも い日々仕事をしている。鈴木氏が特別だとは思わない。鈴木氏は一市民として地域の一員で役割を担うべきではないだろうか。特定の人が政治をする時代は終わ りだと思う。

政治家の倫理観と実力(イメージだろうが…)の間で、国民に対して政治民度が試され、その行方にこの国の未来がかかっているのではないだろうか。

写真は18・19と新ひだか町で行われた、北海道知事盃争奪KB野球秋季大会の模様です。