裁判員制度導入後、初の死刑判決で話題となった裁判。それまでは裁判官という専門家に任せておけば良かったものが、好むと好まざるにかかわらず市民が死刑、つまり人の命をで左右する判断に迫られる状況になったことで、裁判員への過大な負担が話題となっている。また、これを機に死刑制度に関する議論を深めるべきだとの論調も目立つ。
ある新聞は、「これまでは残酷な犯行だと眉をひそめるだけですんだが、いや応なく死刑と向き合わなければならなくなった。しかし、社会の根っこに関わる大事なことを専門家に任せるだけではいけないとの考えが、この制度であり、お任せ民主主義との決別をめざしたものだ」と述べている。まったく同感だ。
この件では、市民の負担、死刑制度などが、議論の中心となるテーマだが、私は裁判官が判決後に被告に対して控訴を勧めたことに大きな疑問を感じた。新聞社説で「裁判官と裁判員が全人格をかけて結論を導きだした」というように、熟慮に熟慮を重ねた結果なのに、なぜ自らその判断を否定?するような控訴をするめたのか。一部に言われるような、「死刑を実施させた」という責任を回避する意味もあるのなら、裁判員制度そのものを否定していることにならないだろうか。私には理解できない。