人それぞれいろいろな意見があっていいはず。
ただし、新聞によりそれらの情報が恣意的に操作されるとしたなら、
国民は何を信じたら良いのでしょう。
そんな危険性を感じたのは、ある日の新聞の読者からの声。
以下、その抜粋。
まず、仙谷官房長官の「暴力装置」発言に関して、自民党議員のヒステリック?な絶叫に近い追及に対し、「いじめ質疑」はパフォーマンスだとの意見。
続いて、「大臣はジョークも言えぬのか」と題して、辞職した柳田前法相をかばう意見。「内輪の集まりでジョークを飛ばしたつもりが野党に揚げ足を取られただけのこと」と、そして、クリントン大統領のエープリルフールのジョークを持ち出し、「ジョークも問題にするようなゆとりのない人間関係では良いしごとができない」との意見。
次は、露大統領の国後島訪問は、閣僚の「不法占拠」発言が要因、「島を返せ」の一点張りではかたくなになるばかり、友好親善と経済交流をベースとしたアプローチが問題解決になるとの主張を紹介。
さらに、第3段事業仕分けは政権与党の要求に不備があることを認めたおかしなものだとの意見。(それは理解するが)「米軍への思いやり予算など、大きなムダこそ見直すべきなのに、それらは対象外」とも述べられている。
そしてとどめに、来年の卯年で思い出した、戦時中の食糧難と食用にされたウサギの悲しい思い出。
さて、どう思いますか?
私の感想は、あえて控えます。