勝ち組・負け組、二極化などの言葉が昨今良く聞かれます。また、昨年発売と共に話題の本に「下流社会」があり、さらに「希望格差社会」といったタイトルの書籍も同じような視点で、現代の日本社会を分析しています。
昨年の流行語ともなった「小泉劇場」では、小泉首相は参議院での郵政民営化法案否決を受けて、国会のルールを無視した「とばっちり解散」で衆議院を解散してしまいました。そしてこともあろうに「郵政民営化」のみを焦点とする総選挙に打って出たのです。ご承知のように、その結果は選挙前の予想を大きく覆し自民党の圧勝に終わりました。これは国民が選んだ結果であり、国民の総意と捉えざるを得ません。それを分析すると、郵政民営化とはすなわち「官から民へ」の小泉改革の象徴といえるもので、官主導のシステムから、民間主導によるコスト意識を導入することで、無駄を省き「ちいさな政府」をつくる事は、結果として国民に利益を及ぼす事になるとの考えです。それまでの官主導が全て無駄であり悪であり、民営化が全て善であり、競争が全て良い結果を招くというような、意識付けがなされていたのではないかと考えます。
徹底した競争社会はコスト削減とサービスの向上を一時はもたらすのでしょうが、結果として勝者と敗者をつくる事にもなります。そして勝者は寡占や独占状態をつくり、富の一人占めがすすむことになります。だからこそ、独占禁止法があり、健全な競争が常に維持されるよう法律によりコントロールしているのです。しかし最近の日本の社会状況をみると、確実に貧富の差が開き勝者と敗者の区別がはっきりとする、いわゆる二極化が進んでしまったといえるのです。
高度成長期にも貧富の差が確かにありました。しかし、誰でも努力をすればいつかは豊かな生活が約束され、マイホームやマイカーも手に入るなどと希望を持つことができる社会があったのです。だからこそ多くの日本人が中流の意識を持つことができました。ところが、現在の社会は、大学を卒業し大手の企業へ就職できたとしても、定期昇給はおろか、社員がいつでもリストラの対象となりえるのです。さらに最近の企業は専門的な中核労働者と代用のきく部門とに雇用を分ける傾向にあり、雇用においても二極化が進んでいるのです。つまりごく少数の専門職に対して、大勢のマニュアル通り働く分野に別れ、その部分を派遣社員やフリーター、パートタイムで補う会社が多くなっているということです。かつてのフリーターは、自分の求める職業がないからと自ら望んでその道を選んでいたものですが、今ではその理由が全く違い、安定した定職を求めたくともそれが叶わないといった状況があるのです。さらにこのような厳しい環境が働く人の意欲をなくさせ、ニートを生み出す一因と考えられています。努力が確実に報われる時代ではなく、将来に向けての希望が持ちにくい社会。このようなことから、多くの若者が「中流の下」を意識する時代だと言われています。
私は今年のキーワードとして二極化、(希望)格差社会、下流社会、などの言葉が多用される年となるような気がします。小泉改革がもたらす明と暗の部分がはっきりと表れ、ほんの少数の勝ち組と多数の負け組が生まれる時代となるのではないかと考えます。この現象は個人の生活だけではなく、国内の自治においても都市が勝ち組となり地方が負け組となって、行政サービスや暮らしの質において、その差がますますはっきりとする時代が来るのではないかと思われるのです。かつては「日本全国の均衡ある発展」が国の目標でもありました。ところが今は「地方の特色ある発展」との言葉に置き換わり、道州制議論でも言われるように、地方でできることは地方で決めることとなります。これは一見理にかなった、自立を促す考えともいえます。しかし一方では、地方間の競争が激化し、さまざまな面での差が開くことが予測されます。自由や主体性を手に入れる反面、競争によるリスクも手にすることになるのです。
日高地方に目を向けましょう。平成20年までに計画されている支庁制度改革では、日高支庁が胆振だけではなく、石狩、空知、そして後志支庁までもがひとつとなり、道央圏としての支庁を形成する計画があります。支庁所在地は札幌?との予測が当然成り立ちますが、現在でも全道の人口の3分の1が住む札幌にさらに人口が集中することが考えられます。この度の支庁制度試案は全道を6圏域に分け、それぞれが独立した地方としての特色を持つことを念頭にしていると言われています。その中での人口移動は想定されているようですが、この道央圏のような広域での人口の集中と過疎が進むと、過疎地での住民生活や地方自治にたいへん大きな影響があるものと思われます。過疎地では人口が少なくなることで、学校の統廃合や地方医療機関の維持も難しくなり、結局は教育・医療・福祉サービスの低下が進み、若者だけではなく高齢者さえも地方に住むことが難しくなります。そして少子化が進む中での過疎化の加速は労働力や購買力の低下、そして産業の振興に重大な影響を与え、さらに地方自治自体が成り立たなくなることが危惧されています。
何もしないでいると、その流れは確実に進み、修正が効かない状況にまで陥ることが心配されます。今こそ政治の力でその流れを変えなければなりません。思いきった過疎地を重点とした施策や地方独自の産業育成が欠かせないものと考えます。もちろん地方での民間の努力なしでは成り立ちませんが、それを誘導するために政治の力が必要だと考えます。繰り返しますが、決して無策で放っておくわけにはいかないのです。私は、今年は特にこの視点で政治を捉え、地方からの言い分を強調してまいりたいと思います。
2月にはトリノオリンピックが開催され、数々のドラマが生まれることと思われます。私たちに多くの感動を与えてくれるものと期待をしていますが、そこにはひとりの勝者と大勢の敗者がいることも忘れてはなりません。勝敗は個々の努力の差だけではなく、素質や時の運が微妙に重なり合って決まるものです。世の中でも同じように、勝ち組と負け組の差はそんなちょっとした違いしかないのだということを思いながら、観戦したいと思っています。
「がんばれ、ニッポン!」