政治家の失言なぜ日常化?との新聞記事に一言。
 先日の菅総理の「疎い」発言や「歴史に対する反逆行為」などを例に、「権力を握ると謙虚さが消える」と断じている。また、森元総理が首相時代に間違った英語を使った事例を紹介しているが、それらの“失言”はそれぞれ性格の違うもの、一概に“失言”と“揚げ足をとり”をするマスコミの体質にこそ問題があるのではないだろうか。
 例えば、「疎い」発言は菅総理の経済に対する資質の問題として、一笑に付するべき問題。国会で追求する方がおかしい(…自民党だったか)。だいたい格付けの信用度はどれ程のものか分からない。
 久間元防衛相の「(原爆投下は)しようがない」発言は、前後の文脈を読み取れば決して失言に当たらないと私は思っている。
 「失言」とは、発した言葉に本音が思わず漏れてしまい、問題となること。仙谷前官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言などがそれにあたると私は考えるが、たいして問題にするほどのことではない事例が多いように思える。
 コメントに「政治家は選挙中はニコニコし、権力を握ると上から目線になる。謙虚さを貫けば失言は減る」とあった。確かに謙虚さは必要だが、政治家はニコニコしてばかりでは仕事にならない。リーダーとして、時には有権者に受けの悪い言葉を発することもある。このようなコメントを載せることこそが誤解を植え付けるのではないだろうか。
 また、渡辺美智雄政調会長(当時)が言った「失言は政治のユーモア」では片付けられないと主張しているが、私はそうは思わない。欧米人のようなユーモアのセンスが日本の政治の世界にも必要ではないだろうか。例にあった、クリントン大統領のようにね(^O^)

北海道議会議員 藤沢澄雄